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「グラン・トリノ」は、男のけじめのつけ方を教わった気分や。 [つっこみ映画評]

もう1本、正月に映画を観た。ゆーてもDVDでやけど。

この映画、アメリカの中でも経済的に最も疲弊してる中西部デトロイト近郊の町が舞台や。この辺りは自動車工業のメッカやったんやが、GM、クライスラー、フォードのビッグ3のクルマが売れんよーになって、工場が次々に閉鎖されて、白人がおらんよーになった住宅街に後から入り込んできたのがアジア系の亡命者たちやったゆー設定や。モン族ゆーて、ベトナム戦争の頃に米軍に協力したんで、戦争が終わった後にベトナム政府から迫害を受けてアメリカに亡命してきたらしい。フォードの元工員やった朝鮮戦争帰還兵のじいさんは奥さんを亡くしたばっかりなんやが、そのじいさんと隣家に引っ越してきたモン族の青年とその姉との交流を描いてるんやが、じいさんにも政治的亡命してきたモン族にもそれなりの事情がてんこ盛りなんで、観てる方もかなり重苦しい気分になってくる。

アメリカの人種差別もまだまだけいっぱいあるようーや。南部は特にひどいらしいが、中西部も決して人種差別がないわけではない。ま、ニューヨークは別格のよーや。世界中からあらゆる人種が集まってる人種のるつぼやから、いちいち人種差別やってたら生活できんからやろ。それにしても、クリント・イーストウッドは、この映画でもダーティー・ハリーばりの強面やった。その強面ぶりがラストの伏線やったんやが・・・。 ま、男のけじめのつけ方を教わった気分や。

ガソリンをばらまきながら走るアメ車は、過去の遺物とゆーてもええんやろが、早い、でかい、クルマが威張ってた時代から、そこそこ早いし、燃費もまあまあのエコカー全盛の時代になって、アメ車は出る幕がなくなってしもた。さすがのアメリカ人も昔風の恐竜クルマには見向きもせんよーになったゆーことや。しかし、アメリカゆーたらマーケティング理論の本場なんやから、もっと早いこと、世間の人が乗りたがるクルマ像をキャッチして新車開発しててもよかったはずなんやが、アメリカ国内で生産できんかっても、アメリカ資本で海外に工場作って、逆輸入するなりできたと思うのに、なんでそうはならんかったんやろ?

グラン・トリノというクルマは乗ったことも見たこともなかったが、同じフォードのマーキュリー・クーガーゆークルマには、10代のガキの頃によー乗せてもろてた。ゆーても、おっちゃんちが金持ちやったんとちゃう。友達が金持ちのドラ息子で、そいつの運転でおっちゃんらは遊び回ってたんや。ほんまバカ造やった。このクルマはどでかい図体なんやが、2ドアで後部座席はめちゃ狭かった。当時はまだ珍しかったオートマ・パワステ・パワーウインドウ・エアコン・8トラックのカーステレオと豪華絢爛のフル・スペックやった。青春時代のほろ苦い思い出の1シーンでしかないけど・・・。
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「おくりびと」を元旦に観たんは、おっちゃんくらいやろか? [つっこみ映画評]

実に2年半ぶりに映画(DVD)を観た。昨年のアカデミー外国語映画賞を受賞した「おくりびと」や。ええ映画やった。納棺師という仕事があることを知った。戦争で亡くなった兵士の遺体なんかをキレイにするエンバーミングゆーのんがアメリカで始まって、日本にもあるとゆーのは以前から知ってたけど、納棺師の場合は、湯灌して、白装束に着替えさせ、死化粧を施し、棺に納めるまでが仕事のようや。しかも、遺族が見守る前で一連の作業とゆーか所作をするので、これはなかなか緊張するやろ。おっちゃんの高校時代の友人も、大学生の時に葬儀社のバイトをずーっとやっとったんやが、日当はケッコーよかったよーや。やっぱり誰もが積極的にはやりたがらない仕事は多少は割がよーないとあかん。それに、こーゆー仕事は天職やと思わな長続きせんやろな。

今時、都会では自宅で葬式出すことがほとんどなくなったんで、こーゆー場面に立ち会うことがなくなりつつあるよーに思うんやが、それにしても、生まれてきた限りいずれは死ぬんやが、死出の旅支度については、誰かにやってもらうしかないので、ぞんざいにやられるのは嫌やな。ただ、あの白装束は願い下げや。いくら民族衣装やとゆーても、あのカッコで冥土の旅に出発するのはカッコ悪い。時代劇のエキストラとちゃうねんから。もうちょっと21世紀仕様の白装束を開発してくれたらと思う。白のタキシードではちょっと演歌歌手の感じやし・・・。最近の葬式では、霊柩車も宮型が絶滅危惧種になりつつあり、ストレッチリムジンタイプの黒塗りワゴンが増えてきてるが、おっちゃん、あの黒塗りもええんやけど、花電車みたいな派手な演出の霊柩車もあったらええのんちゃうかとも思う。

ところで、東京の楽団でチェロ奏者をやっていた男が、プロの音楽家の道を断念して東京から山形に帰ってきたんやから、いくら子供時代に弾いていたチェロが家にあったゆーても、もう一度弾いたりするもんやろか?プロとしてやっていた音楽を断念すると、2度と楽器に手を触れんもんとちゃうやろか?ま、クラシックの音楽家は、そんなに儲かるもんではないやろから、音楽が好きでないと出来ん仕事やろから、プロとしては続けられんようになったとしても、演奏することまで辞めてしまうことにはならんのかもしれん。

本木はんもよかったんやが、山崎はんはいかにもタコにも葬祭関係の人らしさが漂ってた。それと、贔屓にしてる余はんもよかった。嫁はん役の広末もまあまあやった。彼女はWEB デザイナーという設定やったんやが、それらしくはなかった。

これはどーでもええことなんやが、この映画は日本的な旅立ちのお手伝いを描いてるんやが、主人公の実家もNKエージェンシーの建物も、国籍不明の洋風建築やった。やたら食べ物を手づかみで食べるシーンが出てきたんやが、あれを観た外国人は、日本人は何でも手づかみで食べるんやなと思いこむ奴が出てくるかもしれんがな・・・。

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[パッチギ!!」は、批評すんの難しいな。 [つっこみ映画評]

この映画、批評すんの難しいな。おっちゃんが 多感な若かりし頃の映画や。ゆーても、この映画みたいな派手な喧嘩したことないけど・・・。京都の九条と大阪の南区(今はもーないけど)では事情も環境もちゃうやろけど・・・。しかし、確かサンケイホールやったと思うけど、フォーククレセダースのラストコンサートには行った。あの300枚限定やった(?)自費出版レコードも、友達のニーちゃんが持ってたんで聴いたことがある。しかし、あの頃のことはあんまり思い出したないな。「僕は二十歳だった。これが人生の最も美しい年齢などと誰にも言わせない」ゆーたんは、「アデン・アラビア」のポール・ニザンやけど、おっちゃんにとっては18の頃の方が、美しなかった。その後の人生が美しいかゆーたら、美しいことないけど。しかし、あの頃のことをまざまざと思い出させる映画かとゆーと、そーでもない。何せあまりにも別次元の世界や。大阪のおっちゃんのまわりではけっこー仲良ーしてたんちゃうやろか?高校には、在日中国人(とは言わんな、華僑やな)とか、在日朝鮮人(か韓国人か分らんかった)とか、ケッコーおったんやけど、わりかし仲良かったし、ええ奴やった。同級生にひとり、めちゃ腕っ節の強い奴がおって、おっちゃんとはケッコー仲よかったんやけど、ある時、そいつが急にぶち切れ、学校のトイレでけんかが始まって、傍観者やったおっちゃんには、何が原因やったんかも分からんかったんやけど、それが人間の暴力が持つ吐き気がするような気持ち悪さを目の当たりにした最初やった。彼の国の女子と深い仲になったこともなかったから、「結婚したら朝鮮人になれるか?」みたいなややこしいこともなかった。とゆーか、南北の問題やとか、強制連行やとか、民族差別やとかを腹割って話す機会があんまりなかった。知らんぷりを装ってただけなんかも知れん。ただ、鶴橋の国際マーケットには足踏み入れられんかったな。あそこはよその国やった。最近はキムチ買いに行ったりするけど。井筒監督もこの映画で描けることと描けんことの境界線見極めるのん難しかったやろと思う。やんちゃなガキ同士のけんかに限定せんと、もっと差別問題とかに踏み込んだら、やっぱ、まずいわな。そこで、沢尻エリカちゃんやけど、かいらしいのは確かやけど、それだけやな。チョン・ガンジャ役の真木よう子ちゃんの方がよかった。


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「ALWAYS 三丁目の夕日」は、団塊世代には懐かしい風景やなかった。 [つっこみ映画評]

東京タワーが出来たんは、昭和33年(1958年)10月14日やそーや。おっちゃんの9才の時やから、この映画の小学生の子供とほぼ同世代や。今も大阪に住んでるから、故郷ゆーもんが事実上ないんやが、この当時の大阪の街に郷愁を感じるかゆわれたら、「別に」と答えとこ。
この映画は昭和30年代(1955〜1964年)に集団就職で上京した人とか、地方出身で大学入学のために上京した人とか、東京都生まれ東京都育ちやけど、今の東京と違てその頃はめちゃ辺鄙なとこやった環状線の外っ側出身の人とか、そーゆー環境でほぼ半世紀の間、東京を生き抜いてきた現在65才以上の人らにとっては、懐かしさとともに切なさがこみ上げてくる映画やろ。
おっちゃんは、別になんにも感じんかった。たぶん、まだ物心があんまりついてなかったせいもあるよーに思う。ノスタルジー感じよーと無理したら感じられんこともないけど・・・。
昭和30年代ゆーたら、何もかもセピア色に変色してたみたいやけど、その当時は、新建材使たプレハブ住宅もぎょうさん建ち始めてたし、国産自動車もミゼットはじめ、スバル360やら、トヨタのクラウンやらコロナやら、日産のダットサンやら、日野コンテッサやら、いろいろ走ってた。それから、ごっついアメ車とかビートルとかヒルマンとかの外車もケッコー多かった。それらはみんなぴかぴかやった。子供の目ェには、あんなに煤けた印象はなかった。
おっちゃんは大阪の町中生まれやけど、テレビが我が家に来た日のことも覚えてるし、その前に、近所の金持ちの家でテレビ見せてもろたんも覚えてる。皇太子のご成婚パレードは、親戚の叔母さんとこに姉と一緒に見に行った。しかし、街頭テレビで力道山を見たことはない。氷入れる冷蔵庫もあったし、小学校には二宮金次郎の銅像もあった。家の前の道路はさすがに地道やなかったけど、横町は地道やった。磁石引きずってるおっさんを見たこともある。便所はポットンやったし、手水鉢がぶらさがってた。バキュームカーが時々来て、長いホースで屎尿を吸い取ってたんも覚えてる。
しかし、水洗に変わったは比較的早かったよーに思う。たぶん、小学校の高学年か中学生の頃には、おっちゃんの住んでた一帯の下水道が整備されたみたいや。せやから、よー空き地に土管が置いたった。あの土管は下水道用の土管やったんやろ。
近くの谷町筋に地下鉄(東梅田〜天王寺)が通ったんは、昭和43年(1968年)やったそーやが、その10年くらい前から延々工事しとったな。おっちゃんの高校生の頃は、梅田方面に行くのは、市電かバスで心斎橋まで行って、地下鉄御堂筋線に乗るか、逆に玉造に行って、そこから環状線に乗るかやった。昭和41年(1966年)から、阪急梅田駅の高架工事が始まったそーやから、おっちゃんの小学生の頃はまだ地上駅やった。
何が言いたいのか、自分でもよー分からんのやが、おっちゃんにとっては、昭和30年代より昭和40年代(1965〜1974年)の方がインパクトが強かった。世界同時に何かが起こるゆーよーな気ィになってた。ゆーか、いだにその頃の自分から完全に脱皮しきれてないよーな気ィがせんこともない。
前置きが長なった(って、これ前置きかい?)が、この映画で、北の国からの純が売れない三文文士役をやっとったが、どーも違和感があった。役になりきれてないゆーのんか?それから薬師丸ひろ子のお母ちゃん役もしかり。小雪の流れ者の飲み屋の女将役も、なんか戦前生まれの日本人(団塊の親世代)ゆー感じがせんかった。こーゆー映画は、小道具や背景でなんぼ昔を再現してても、人間が昔の日本人を再現できてなアカン。戦前生まれの日本人は顔つきからして違う。もたいまさこと三浦友和は、戦前の人のニュアンスがあった。


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「ノーカントリー」はノーコン映画やった。 [つっこみ映画評]

去年のアカデミー賞の作品賞他をもろた映画やちゅーんで観たんやけど、結論からゆーと、観ん方がよかったかも?
何しろ、追跡劇なんやが、追っかける方が、神出鬼没過ぎるんや。あんなにうまいこと失踪者が見つかるとは到底思えん。しかも、この映画は1980年代の時代設定やから、今から20年も前の話や。まだまだ、IT技術も今みたいに進んでない。グーグルアースもグーグルストリートビューもなかった頃や。それと、麻薬マフィアから大金盗んだ男がのこのこ現場に戻ってくるとも思えん。それに、大体保安官補に殺人鬼のシガーがおとなしく捕まってパトカーで護送されてるとこからしておかしい。こんな凶悪無比の男やったら、捕まる前に殺してさっさと逃げとるに違いない。しかも、見るからに気色悪い男を一人だけベンチに座らして、しかも前手錠で(アメリカは後ろ手錠が一般的なんちゃうか?)背中を向けて電話してる図なんて、ありえへんで。このあり得ん状況設定のオンパレからして、この映画のとんでもなさが分かるちゅーもんや。得体の知れないもの、正体不明なもの、こーゆ理解しがたいものに直面すると、人間は目ェをそらそうとするみたいや。おっちゃんも何度か目ェそらしてしもた。この殺人鬼シガーに比べたら、ハンニバル・レクターの方が理解できソーヤ。大体、このコーエン兄弟ゆー監督は、「ファーゴ」でも、あきれかえったんやが、この映画でも、何を観客に伝えたいんかよー分からん。世の中には理解出来ん変な奴がおるから気ィつけやゆーのんか、それとも、死に神のよーな殺人マシンに追いかけられてたら、諦めなしゃーないゆーのんか、これでもかゆーくらい殺人のシーンを見せつけて、何がおもろい?大体あんなけったいなエアガン持ってうろうろしてたら、それだけで職質されるやろ。身内の警察官(ちゃぅ保安官補やった)が署内で殺られたんやったら、もーちょい本格的な捜査体勢で望むやろ。こーゆー世間常識を無視したストーリー展開ゆーのんが、おっちゃんには、どーにも納得がいかん。シガー殺しを命じられたもう一人の殺し屋が金の入ったバッグを簡単に見つけるのんも、ありえへん。こいつもあっさり殺されてしもたけど。大体、シガー役の役者が、あの日本を代表する建築家のA藤T夫さんに似てた(髪型とか目ェとか)んで、おっちゃん、イメージ払拭するのん苦労したわ。日本では変な宇宙人役で缶コーヒーのコマーシャルに出てるトミー・リー・ジョーンズがやってた田舎の保安官も、一人でうろちょろしてるだけで、どー考えても、犯人を捕まえられるとは思えんかった。ところで、おっちゃん、この前自転車で転んで怪我したばっかりやが、あんな大怪我して走ったりでけんと思うわ。「ラスベガスをやっつけろ」みたいなナンセンス映画として観る分には、多少のご都合主義に目ェつぶってもエエけど、ここまでノーコン映画やと、つきあい切れん。なんか監督がもっともらしい映画作ってる気ィになってるみたいなんが気にいらん。

追記 あれからつらつら考えた。北野武の映画もバイオレンスがひとつの売りになってた。古い映画ではスタンリー・キューブリックの「時計じかけのオレンジ」も暴力がテーマの映画やった。これらの映画とこの映画が根本的に違うのは、ストーリーのなかでの暴力の必然性や。暴力をふるうことに快楽性を求めているにしろ、自己防衛の延長線上での、やられる前にやれの暴力でも、その暴力には理由とゆーか動機とゆーか必然性があるよーに描かれてる。しかし、この映画の暴力は、訳分からん。殺人の目的は、金でもなければ、恨みでもない、快楽ゆーのもちょい違う。まったく理解不能なエイリアンのよーな殺人者なんやが、こんな無差別殺人の犯罪者を描くことで、何か価値があるやろか?しかも、犯罪がペイするしないの問題も除外されてる。荒っぽい犯罪映画は、犯罪はペイせんことが前提や。そーでなかったら、俺も一丁やったろゆーアホが出てくる。この映画でも、原作に老保安官が出てきたから、しょーことなしに老保安官を出したんで、ほんとは、あの老保安官はなしでもよかったんやと思う。てゆーか、あの保安官が出てきたことで、話がややこしなった。旧来の社会正義の象徴のような老保安官が、近頃の犯罪は手に負えんよーになったと嘆くことで、現代社会の刹那的犯罪者(誰でもエエから殺したかったゆーよーな連中)の大量出現を予見させたんやろか?この映画が、1980年代に製作されとったら、そー言えるんやけど、時代設定が1980年代ゆーだけやから、そーとも言えん。原作では、老保安官の存在も意味があったんやろけど、映画では狂言回しにもなってない。まして、最後の方の夢の話なんか、ちんぷんかんぷんや。保安官の出番全部カットしても問題ない。ま、そーしたら、この映画の価値が上がるゆーもんでのないけど・・・。


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「ストレイト・ストーリー」は、じいさんの心意気にカンドーした。 [つっこみ映画評]

この映画は、73歳のアルヴィンじいさんの虚仮の一念ゆーたら失礼やけど、誰もが無謀と思う大冒険旅行に出かける心意気に感動してしもた。アバウト・シュミットのジャック・ニコルソンは、キャンピングカーで出かけてたが、このじいさんは、おんぼろの芝刈り用トラクターに手作りのトレーラーをつけて500キロの長旅に出発したんやが、そもそも芝刈り用のトラクターで公道走ってもええんやろか?しかもトレーラーまで牽引してるやん。しかし、そーゆー初歩的な疑問は置いといて、ここは前進あるのみや。また、この映画、ワルが一人も出てこん。アメリカ人の懐の深さがよー出てた。自転車レースの一団が通り過ぎていったけど、どーみても草レースっぽかった。リカンベントもケッコー走ってたな。おっちゃん、今朝自転車でこけて、今も左手が痛いので右手だけで打ってる。アメリカは自転車乗りにとってはエエ国らしい。日本は数は多いけど、ほとんどがママチャリなんで、スポーツバイク人口はまだまだ少ない。とゆーことは、スポーツとして自転車で走れる道も少ない。今朝こけたんも、淀川右岸の河川敷なんやが、そこらじゅうに原付やバイクのアホが入り込んでこんよーに輪止めが設置した〜る。その上、道路に人工的にデコボコまで作ったった。そのデコでおっちゃんこけてしもたんや。そこそこスピード出てたんで、左膝、左手、左肘、左肩、左頬に打撲傷を負った。大怪我や。話が横道にそれてしもた。じいさんは前進あるのみや。リチャード・ファーンズワースは、かっこええじいさん役者やった。じいさん役者の日本代表は笠智衆やろけど、おっちゃんは、どっちかゆーたらリチャード・ファーンズワース系のじいさんになりたいな。笠智衆ではちょっと枯れすぎや。とゆーても、自転車で日本一周しよとは思わんけど・・・。ロードムービーは、東海道中膝栗毛なんやから、次々おもろい場面が出てきてハプニングが相次がなアカン。この映画でも、一見淡々としたストーリーに見せながら、いろんなエピソードを塩梅よー挿入したった。おっちゃんが一番感動したんは、[ネタバレ注意]10年ぶりに再会した兄貴と抱き合わんかったことや。ここのデビッド・リンチの演出は実に日本的やった。それと、実に携帯のない時代の映画やった。


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「THE有頂天ホテル」は、誰が有頂天になってたんや? [つっこみ映画評]

今や絶頂期の三谷幸喜脚本&監督の「THE有頂天ホテル」をたまたま観た。結構笑いに包まれたええ話っぽいよーやが、往年のグランドホテルものを下敷きにしてるだけあって、出てくる役者は多士済々。もちろん主役の役所広司はうまい役者やった。他に役にはまってたと感じたんは、伊東四朗、篠原涼子、オダギリジョー、戸田恵子、原田美枝子、浅野和之とゆーところ。逆に、いまいちミスキャストちゃうのんと思たんは、松たか子、生瀬勝久、唐沢寿明、YOU。まずまずは、佐藤浩市、西田敏行、麻生久美子(あくまでおっちゃんの主観やけど)。西田敏行は出番が少なかったんで、持ち味を出し切れんかった感がある。YOUは、声量がなさ過ぎ、ジャズシンガー役はキツい。怪演してたんは伊東四朗。ま、得な役柄ではあったかも。しかし、この手の話として、登場人物がそれぞれ訳ありすぎとゆーのもどーかいな?役所と原田、松と佐藤、香取と麻生の3組も訳ありとゆーのは、やり過ぎやないでしょうか。それでも、まずまず正統派喜劇やった。しかし、三谷はんもええ話の要素をかなぐり捨てた方が喜劇としてもっとおもろなると思うのはおっちゃん一人・・・やろか?ラストのカウントダウンパーティーは、もっと豪華絢爛にやって欲しかったなぁ。あの程度のパーティのために、みんな必死のパッチで頑張ってたとしたら、何となく拍子抜けするがな。。。やっぱり有頂天になってたんは、監督一人みたいや。
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バレエ「くるみ割り人形」の吉田都はんは、パーフェクトやった。 [つっこみ映画評]

くるみ割り人形2幕 バーミンガムロイヤルバレエシアター公演(1994)

イギリスのバーミンガムロイヤルバレエシアターの公演をDVD化したものやから、当然映画ではない。とゆー訳で、今回はつっこみ映画評番外編。たいしたストーリーもないが、それでも、基本無言劇やから登場人物の役柄はちょとばかし分かりにくい。金持ちのお屋敷でクリスマスパーティーをやってるゆーのんはなんとなく分かった。女の子(ゆーても決して12・3才には見えん。無理を承知で若めにゆーても17、8)がどこぞのおっちゃんからお人形さん(オニンギョサンと発音のこと)もろて(なんでまたくるみ割り人形なんかをクリスマスプレゼントに選んだんやの疑問はさておき)、それを弟(こっちは子供がやっとった)と取り合いして壊したから、気になって夜中に様子を見に来たら、(とゆー設定も無理あるけど)ネズミの人攫いグループ(このお話の時代設定は20世紀初頭くらいやろから、ロンドンの高級住宅街でもチュー太郎が夜になるとそこら中ちょろちょろしとったんは十分想像できるが)に拉致されそーになって、それをくるみ割り人形とおもちゃの兵隊さんたちが撃退して、夢の島(とちゃう、夢の国)に連れて行ってもらえるとゆーことらしかったが、いまいち飲み込めんかった。後で解説読んでやっと分かった。しかし、このお話自体は、日本でゆーたら亀を助けて竜宮城へ行ったウラシマタローみたいなもんで、イギリス人ならケッコー知ってるのかもしれん。

おっちゃん、不遜にも第1幕は別になくてもええのんちゃうのんと思ったんやけど。。。これって、結局第2幕への伏線ちゅーかお膳立てなんで、幕前にあの子が出てきて、ざっと経緯を話して、すぐに2幕目始めた方がええのんちゃうか(なんと偉そーに)。しかし、よくよく考えてみると、一部が劇で2部がバラエティの2部構成とも言えるので、この構成自体は、どさ回りの大衆演劇もロイヤルバレエ団も大して変わらん劇場での公演ものの不文律みたいなもんかもしれん。たとえ一流アーティストの公演でも、高い金払わされて、前座もなしで30分で「はい、お終い」やったら、金返せと怒る客もおるやろ。

おっちゃん、この世にせいを享けて50有余年、バレエを劇場で観たことがない。「トーク・トゥ・ハー」の看護士みたいに。バレエ教室を覗き見したこともない。バレリーナとつき合うたこともないし、バレエ好きの知り合いもおらん。そんな、おおよそバレエと無縁のままで死んでゆくはずやったおっちゃんが、この「くるみ割り人形」と巡り会うてしもたのも運命のいたずらとゆーやっちゃ。「あいみての のちのこころにくらぶれば むかしはものをおもわざりけり」ゆーとこやね。おっちゃん、バレエ(あくまで鑑賞に)はまり宗谷岬。

なんでまた「くるみ割り人形」なんかとゆーと、問題は吉田都嬢や。しばらく前にNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」ゆー番組に出たはったんを覚えてる人もいると思うけど、おっちゃんあの番組ケッコー贔屓にしてて、特に国際的に活躍してる日本人ちゅーのに弱いんや。もちろんイチローや松井、俊輔、高原なんかのスポーツ選手もそーやが、この吉田都嬢のように、ヨーロッパ伝統芸術の牙城のよーなバーミンガム・ロイヤル・バレエ団に殴り込んで(殴り込んだんかどーか知らんけど)実力を認められてプリンシパルに抜擢されて、いまでも大喝采を浴びてるんやから、大したもんや。イギリスで日本人がバレエ団のプリンシパルに抜擢されるちゅーのんは、日本でお能のシテ役にイギリス人のにーちゃんが抜擢されたよーなもんか?ちょっとちゃうな。バレエのレッスンは世界中の子供がやってるけど、お能の稽古は日本人でもほとんどやってないもんな。ま、柔道の無差別級チャンピオンにオランダ人のヘーシンクがなったよーなもんか。例えがちょい古いけど。。。

他にも、世界で活躍する日本人としては、MITで日本人として初の教授になりはったコンピューター研究の石井裕はん、イタリアの名門カロッェリア、ピニンファリーナのデザイン部門最高責任者になりはった奥山清行はん。ついこないだ放送があったデザイナーの吉岡徳仁はんの仕事にも感心した。とまあ、世界に伍して戦ってる日本人はケッコーいるんやが、問題はこの吉田はんや。おっちゃん、名前を聞いたことも、顔見たことも、もちろん踊りを観たこともなかった。まったくの門外漢や。門から500マイルは離れとる。とおの昔に故郷は捨てた身や。これほどまでに自分の中で問題視しなければならない理由はどこにもないはずやった。にもかかわらず、DVDを買うてしもたんや。しかもそれが「くるみ割り人形」や。

当然チャイコフスキーも門外漢や。「白鳥の湖」も「眠れる森の美女」もまともに聴いたことない。そんなおっちゃんでも、「くるみ割り人形」の2幕目の何曲かは耳になじみがあった。特に「ロシアの踊り」と「中国の踊り」と「花のワルツ」はよー知ってる。ま、「ロシアの踊り」はええとして、「中国の踊り」は想定外やった。あの曲のどこが中国やねん。中国ゆーたら、胡弓に銅鑼やろ。「花のワルツ」の方も、まるで合いの手のように「ちゃららった」と聞こえるメロディーが何遍も何遍も繰り返されるのが妙に耳にこびりついて、おっちゃんの笑いの壷に入ってしもた。

そんな話はどーでもええ。問題はバレエや。一糸乱れぬ群舞とゆーと、キムさんとこのマスゲームを思い出すが、(ま、おっちゃんとしては、「一糸乱れぬ」より、「一糸纏わぬ」の方が好きなんやけど)第2幕冒頭の群舞はエレガントさが桁違いに違う。世界のトップクラスのバレエ団だけあって、群舞のダンサーもレベルが高い。決してその他大勢の端役とちゃうで。足をあげる角度もジャンプのタイミングも宝塚並にぴたっと合うとる。この群舞は圧巻やった。。次に続く数人のグループでの踊りも、それぞれに趣があってよかったんやが、ま。ラスベガスのショーもこんな感じかいなとゆー印象やった。

こんな不遜なおっちゃんでも、最後の最後、結びの一番で吉田都嬢が登場するグラン・パ・ド・ドゥでは、ついつい膝をぐいと前にのり出してしもて、イスから転げ落ちそーになった。それでも固唾をのんで画面を見つめ続けとった。いやはや非の打ち所がない、完全無欠、パーフェクト。フィギュアスケートでゆーたら、技術点も構成点もオール10点満点。4回転サルコウを完璧に跳んで最後までノーミスで滑り切った美姫ちゃんみたいなもんや。おっちゃん、真央ちゃんもええけど、やっぱし美姫ちゃんの方がぐっとくるなぁ。

吉田都嬢のバレエは、正確無比にしてエレガント。西洋人ほどは手足が長くないけど、指先、つま先の端っこまで、神経が行き届いてる。総身になんとかの逆や。歌舞伎の見得と一緒で、ぴたっと決まるところではぴたっと決まって、決してふらつかん。何よりも体重がないのんとちゃうかと思うほど、身のこなしが軽やかや。がさつな音がせん。

息を呑むとはこーゆーことやろ。生身の人間が目の前で、何の補助装置もなしに、駒みたいにくるくるまわったり、ジャンプしたり、持ち上げたり、降ろしたりしよる。それも音楽にぴったり合わして。ほとんどアイスダンスとかフィギュアスケートのペアとかやね。ま、フィギュアスケートの方がまねしたんやろけど。。。バレエゆーのんも、ほんまアスリートでないとできんと思う。オリンピックの種目に入れたってもええのんちゃうか。

確かに、香港映画お得意のワイヤーアクションもスパイダーマンのCGも、生身の人間が舞台の上でライブでやってるのとは違う。ここがデジタルの限界とゆーべきか、芸のすごいとことゆーべきか。バレエダンサーを芸人呼ばわりしたら、怒られるかもしれんが、志ん生の噺も芸、能も狂言も歌舞伎も芸、バレエも芸、人に見せて楽しませる仕事はすべからく芸やと思う。術は忍者にまかしとこ。

吉田都嬢が英国ロイヤル・バレエ団に移籍してからの「くるみ割り人形」のDVDもあるらしい。買うてしまいそーで怖い。


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「蝉しぐれ」は、凛とした映像ではあった。しか〜し、 [つっこみ映画評]

前回の寅さんから1年半振りに映画を観た。凛とした映像ではあった。しか〜し、原作と映画のどちらがよいかと問われたら、(問われてないが)原作に軍配を挙げる。やはりこの小説を2時間に凝縮するのはちと厳しい。「ロード・オブ・ザ・リング」みたいに少年期、青年前期、青年後期+エピローグの3部作にしてちょうどか。もう一つ、道場の兄弟子、矢田の妻女、淑江のエピソードをエピソード1として4話完結でどーよ、と言われても、返事に困るやろけど。。。

藤沢周平ものでは、山田洋次監督の「武士の一分」は観てないが、同監督の「たそがれ清兵衛」と黒土三男監督が脚本を担当したTV版「蝉しぐれ」は観た。「たそがれ清兵衛」よりはよい。TV版の「蝉しぐれ」は第一話の冒頭から中年になった文四郎(助左衛門を名乗ってたが)が出てくる構成にいささかのとまどいがあったが、映画の方は原作に忠実に川で顔を洗っている文四郎と洗濯しているおふくちゃんとの中指の思い出エピソードから始まっていて、こちらの方がやっぱりしっくりきた。

映画の子供時代のおふくの役をやってる佐津川愛美ちゃんは、目元ぱっちりの顔立ちなので、ちょっと感クルーわだった。TV版はあえて子役を使わず、内野聖陽と水野真紀が老け役の反対の若作り役で押し通したが、年齢的な不自然さは否めなかった。文四郎15才、おふくちゃん12才くらいの年端もいかない子供の設定やろから、いくらなんでも、無理。とゆーか、これでは下級武士の小せがれと同じ境遇の小娘の淡い恋心は微塵も感じられなかった。ここんとこも、映画版はまだしも実年齢に近いティーンエイジャーを起用したのは正解。近頃のガキはませてるけど、大人になっても精神年齢は幼いままや。昔の日本人は現代の日本人に比べて精神年齢がかなり高いやろから、今時の20才は昔の14・5才とええ勝負やな。

しかし、まあ例の荷車で父親の遺骸を運ぶ坂道のシーンはおっちゃんもぐっときた。原作では確か友だちもいっしょに荷車を押してくれてたと思たんやけど・・・(うろ覚え)。ここは少年少女のふたりだけにした方が映画的演出としては優れていた。江戸屋敷に奉公に出されるおふくちゃんが、暇乞いに来たのに、文くん(ゆーたら中国からきた留学生みたやけど・・・)と会えなくて、とぼとぼと浜辺を歩くシーンは画面が現代的すぎて変。「男女7人夏物語」じゃないんだから、ビーチには行かんやろ。。。江戸時代の武家娘は、たぶん土手にしゃがみ込んで呆然と遠くの山でも見つめてるんじゃなかろーか。ま、それは差しおいて、蝉しぐれは少年の成長物語なんやから、できれば「北の国から」みたいに、このふたりが実年齢で青年になるまで、じっくり腰を据えて撮って欲しかったな。

なぜかといえば、市川染五郎の青年文四郎がいまいちしっくり来んかった。梨園の御曹司だけあって、上品すぎるとゆーかえらい二枚目やん。端正な役者顔では、田舎藩の下級武士の感じが出せん。いくら文四郎が結構颯爽としたええ男であっても、決して都会の若者ではない。しかも、市川染五郎は、映画出演の時点で30過ぎとるやろに、デカプリオといっしょで年齢不詳なところがある。若いんだか歳くってんだか判然とせん。こんなにつるっとした顔立ちの文四郎は、我らが文四郎では断じてない。まだしも内野文四郎の方が泥くさい田舎の若侍の感じがした。

成人したお福さまは、木村佳乃がやってたが、これもTV版の水野真紀の方が、田舎もんぽくてベター。木村佳乃はTVの時代劇で中流の武家娘役をしていたのを観て、イカにもタコにも武家娘らしいきりりとした芯の固さがあって、ぴったんこやんと感心たことがあったから、この映画でも期待してたんやけど、「えらいあか抜けはりましたなぁ」の感が否めない。ちょっと前の三井住友銀行のCMでも、革のホットパンツ姿に感クルーわのおっちゃんでした。江戸の水で顔洗たら、あか抜けするゆーてもやり杉!

その他のキャスティングについては、ふかわはよかった。今田はいまいち。江戸に学問修行に行くほどのカシコに見えんかった。緒方拳の父子の別れのシーンは圧巻。大滝秀治はいつでも大滝秀治。矢田のご新造、淑江さん役の原沙知絵ちゃんは、結構贔屓にしてる女優さんやが、もう少し内に秘めた情炎の陰りが欲しかった。原作では未亡人となった淑江さんのエピソードが出てくるが、この映画ではほんのちょい役でしかなかった。小倉久寛のお父ちゃんと根本りつ子のお母ちゃんから、おふくちゃんが生まれるとは思わレンジャー。

さすがに映画はじっくりロケできるから、自然描写はすこぶるよい。音楽もよい。欅屋敷での立ち回りは、ちょっと噴飯もの。あのラストシーンでは、世を忍ぶ逢瀬のように感じられなかった。藤沢周平は小説を読むに限る。


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「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」は、寅さん映画の白眉とゆーても過言やない。 [つっこみ映画評]

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人なり」とは、よーゆーたもんや。早いもんでこの前つっこみ映画評を書き飛ばしてから、3ヶ月も経ってしもた。この3ヶ月、何をしてたんかとゆーと、(誰も聞きたない)8月はもっぱら鮎釣り三昧やった。9月はタイガースのセリーグ優勝間近ちゅーことで甲子園通いや。ゆーても、優勝決定戦はテレビで観とったんやけど。。。(トホホ)ほんでもって、10月は何をしとったんか?ほとんど記憶にございません。せっかく八方手ェを尽くして第5戦のチケット手に入れてたのに、ボビーマジックにまんまとはめられてタイガースがボロ負けして、あっけなく日本シリーズが終わってしもて、「片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず」ゆー訳で、ひとり旅に出てました。ゆーのんは真っ赤な嘘で、なにげに忙しかっただけや。その間に、DVDの在庫はどんどん増えて、今や未見の映画が100本にもなってしもた。えらいこっちゃ、このペースでは、在庫分を観終わるのにあと2年くらい掛かかり宗谷岬。

しょっちゅう旅に出てるゆーたら、寅さんや。この前、日本シリーズの3戦目やったか、タイガースがボロ負けした後で、お口直しになんかやってへんかいなとチャンネル回してたら(ゆーても最近はガチャガチャ回すチャンネルはなくなってしもたけど)、NHKのBSで「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」をやってた。この映画は1975年の製作やから、ざっと30年前や。寅さんもまだまだ若かった。マドンナ役のリリーこと浅丘ルリ子はんもまだまだお美しかった。

おっちゃん、寅さんだけは20過ぎの頃から、1982年製作の第29作「寅次郎あじさいの恋」あたりまで映画館で欠かさず観とった。その後は、熱心なファンではなくなってしもた。ちょうど映画館にあんまり行かんようになった頃と合致する。そのうち映画はもっぱらレンタルビデオで観るようになってしもた。一方、寅さんは実年齢より遙かに若そーなまま旅から旅のその日暮らしを続けてたが、こちらは、嫁はんと二人のいたいけな幼子を抱えて悪戦苦闘、刻苦勉励、臥薪嘗胆、奮闘努力、疾風怒濤、序破急急、波瀾万丈、青天霹靂、驚天動地、切歯扼腕、青息吐息、じっと我慢の地道な堅気暮らしやった。寅さんのように自由気ままな旅がらすとちがって、しがない給料鳥で、朝出かけて夜遅く帰宅するまで、休日出勤もしょっちゅうで、連日14〜5時間労働を続けてた。 想えば遠くへ北門だ。

あの頃はおっちゃんもまだまだ無理がきいた。最近は老骨に鞭打ってもすぐに腰砕けや。夕方7時頃になると、お尻がむずむずしてきて、頭がぼーっとしてきて、目ェがかすんできて、こらあかん、さっさと帰宅部になってしもた。帰宅途中にキャバクラに引っかかる訳でもなく、すんなりご帰還なんやが、鉄砲玉の嫁はんはどこぞに遊びに出掛けてまだ帰っとらん。玄関に迎えてくれるのは愛猫のマリだけや。さくらやおいちゃん、おばちゃんのいる葛飾柴又にいつふらっと帰ってきても、みんなが暖かく迎えてくれる寅さんとはエライ違いや。何とも腹立たしい放ったらかし状況なんやが、こんな酷い仕打ちされてもおっちゃんはへこたれへんぞっと。

映画の話に戻ると、このリリー4部作の第2作は、寅さん映画の白眉とゆーても過言やない。第11作「寅次郎忘れな草」のラストで寿司屋の女将さんになってしもたリリーに、「やっぱり、リリーも堅気の暮らしがええのんか」とちょっと失望したんやが、この映画では、しっかりデラシネの女旅がらすに舞い戻っとった。

リリーは浅丘ルリ子のまさにはまり役で、イカにもタコにも浅丘ルリ子以外のリリーは考えられへん。分け隔てのない優しさの持ち主にして男勝りの自主独立の気概が同居してる。さっぱりとした気性で、お上品じゃないけど決して下品ではない。「女版六然*」の境地やね。リリーはどさ回りのキャバレー歌手ゆー設定やが、キャバレーというもんが前世紀の遺物化してしもた現在では絶滅危惧種かもしれんが、昔は旅回りの売れない歌手ゆーのんが結構おったみたいや。個人的には知らんけど。。。

自処超然(ちょうぜん)  ちょっと脱力系で、自分のことにはあまりこだわらず
処人藹然(あいぜん)   人に接するときは和やかにのびのびと、誰にでもやさしく
有事斬然(ざんぜん)  何をするにも、うじうじしないできっぱりとやり
無事澄然(とうぜん)  何もなければ、カリブの海のように澄み切っている
得意澹然(たんぜん)   調子のいいときは、かえってあっさりしていて
失意泰然(たいぜん)  へこんだときも、ジタバタせずにゆったり構えている

へこんだときだけは、さすがに女やから結構ぶち切れよる。ひたすら我慢ゆーかやせ我慢ゆーのんは中年男の専売特許かも試練。事なかれ主義ともいえるが。。。リリーの孤独感は、寅さんの孤独感よりずーっと重くて深かったな。女三界に家なしやから、しゃーないゆーたらそれまでなんやが、寅さんが柴又にいつでも帰って来られるのに反して、リリーは帰るべき故郷を持ってない。当然のようにリリーは、家族の温かさ、穏やかな家庭、地道な堅気の暮らしに飢えてる。自分を捨てた母親との葛藤は寅さんにもあったが、リリーの実の母親へのアンビバレントな感情は想像を絶するほどに暗かった。

リリーも寅さんも堅気ではない、キャバレー歌手もテキ屋もやくざな稼業とゆーか遊び人(=自由業)やから、遊び人ならではの特有のニオイみたいなもんが身体に染みついてるんやろ。ゲイやほんまもんのやーさんが同類を嗅ぎ分けるのんと似たたようーなもんか。「寅次郎忘れな草」で最初に出会うたときから、ふたりの間には仲間意識があった。

そんなふたりともう一人、蒸発した堅気のサラリーマン、トッチャンボウヤのパパが加わって、男ふたりと女一人の道行きが始まるんやが、このロードムービー部分はめちゃよかった。誰もがあこがれる非日常の気ままなその日暮らし、その舞台が北海道の大地であれば、ロマンチックな気分満点や。しかし、3人の珍道中の終わりは突然やって来た。例のごとく寅さんがリリーをいたく傷つけるデリカシーのない暴言を吐いて、リリーが腹を立てて去っていった。この時の寅さんは、まさに柴又のおいちゃんやおばちゃんに悪態をつくのと同じパターンで、リリーに心を許しているから、つい悪い冗談が口をついて出てしまったんやろ。。。寅さんのことを『心優しきエゴイスト』と喝破した人がおるが、おっちゃんもそー思う。この大人げない嗜虐性は、子供が親に悪態をつくのによく似てる。

ただ、おっちゃんが初めてこの映画を観たときは、あのシーンの後、リリーの鞄を持って追っかけて行ったパパが、リリーのマネージャーになってこの先いっしょにどさ回りを続けていくんやろなと思てたら、案外あっさりパパは家に戻ってしもた。たぶんリリーと何日間かは行動を共にしてたんやが、寅さんがいなくなるとリリーとの1対1の関係では気詰まりな場面も出てきて、そのうちリリーが稼いだギャラから「もう家に帰ってあげなさい」と帰りの汽車賃を渡されたんやろ。堅気の衆のパパには、旅から旅の放浪暮らしはやっぱりしんどかったやろ。

この映画で、「私みたいな女でよかったら」と、寅さんと結婚してもええよとゆーリリーの言葉を寅さんが冗談にしてしまい、傷心のリリーがとらやを出て行ってから、「寅次郎ハイビスカスの花」でふたりが再会するまでに5年の歳月が必要やった。おっちゃんも首長〜うして再会の時が巡り来るのを待ってたもんや。

おっちゃんが観た寅さん映画の中では、第5作「望郷編」、第6作「純情編」、第8作「寅次郎恋歌」、第10作「寅次郎夢枕」、第11作「寅次郎忘れな草」、第17作「寅次郎夕焼け小焼け」、第25作「寅次郎ハイビスカスの花」、第27作 「浪花の恋の寅次郎」とゆーたとこがよかったな。どっちかゆーと、マドンナが良家のお嬢さんや後家さんでなく、寅さんサイドの水商売とか浮き草稼業の場合の方が贔屓やな。寅さんこと渥美清が亡くなったのは1996年8月4日、享年68、もう9年にもなるんか。。。そーゆーたらリリー4部作の最後とゆーか、シリーズ最終作とゆーか、結局遺作になった「寅次郎紅の花」で阪神大震災の1年後の神戸を訪れてたな。ほんま「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人なり」や。。。合掌



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