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「ALWAYS 三丁目の夕日」は、団塊世代には懐かしい風景やなかった。 [つっこみ映画評]

東京タワーが出来たんは、昭和33年(1958年)10月14日やそーや。おっちゃんの9才の時やから、この映画の小学生の子供とほぼ同世代や。今も大阪に住んでるから、故郷ゆーもんが事実上ないんやが、この当時の大阪の街に郷愁を感じるかゆわれたら、「別に」と答えとこ。
この映画は昭和30年代(1955〜1964年)に集団就職で上京した人とか、地方出身で大学入学のために上京した人とか、東京都生まれ東京都育ちやけど、今の東京と違てその頃はめちゃ辺鄙なとこやった環状線の外っ側出身の人とか、そーゆー環境でほぼ半世紀の間、東京を生き抜いてきた現在65才以上の人らにとっては、懐かしさとともに切なさがこみ上げてくる映画やろ。
おっちゃんは、別になんにも感じんかった。たぶん、まだ物心があんまりついてなかったせいもあるよーに思う。ノスタルジー感じよーと無理したら感じられんこともないけど・・・。
昭和30年代ゆーたら、何もかもセピア色に変色してたみたいやけど、その当時は、新建材使たプレハブ住宅もぎょうさん建ち始めてたし、国産自動車もミゼットはじめ、スバル360やら、トヨタのクラウンやらコロナやら、日産のダットサンやら、日野コンテッサやら、いろいろ走ってた。それから、ごっついアメ車とかビートルとかヒルマンとかの外車もケッコー多かった。それらはみんなぴかぴかやった。子供の目ェには、あんなに煤けた印象はなかった。
おっちゃんは大阪の町中生まれやけど、テレビが我が家に来た日のことも覚えてるし、その前に、近所の金持ちの家でテレビ見せてもろたんも覚えてる。皇太子のご成婚パレードは、親戚の叔母さんとこに姉と一緒に見に行った。しかし、街頭テレビで力道山を見たことはない。氷入れる冷蔵庫もあったし、小学校には二宮金次郎の銅像もあった。家の前の道路はさすがに地道やなかったけど、横町は地道やった。磁石引きずってるおっさんを見たこともある。便所はポットンやったし、手水鉢がぶらさがってた。バキュームカーが時々来て、長いホースで屎尿を吸い取ってたんも覚えてる。
しかし、水洗に変わったは比較的早かったよーに思う。たぶん、小学校の高学年か中学生の頃には、おっちゃんの住んでた一帯の下水道が整備されたみたいや。せやから、よー空き地に土管が置いたった。あの土管は下水道用の土管やったんやろ。
近くの谷町筋に地下鉄(東梅田〜天王寺)が通ったんは、昭和43年(1968年)やったそーやが、その10年くらい前から延々工事しとったな。おっちゃんの高校生の頃は、梅田方面に行くのは、市電かバスで心斎橋まで行って、地下鉄御堂筋線に乗るか、逆に玉造に行って、そこから環状線に乗るかやった。昭和41年(1966年)から、阪急梅田駅の高架工事が始まったそーやから、おっちゃんの小学生の頃はまだ地上駅やった。
何が言いたいのか、自分でもよー分からんのやが、おっちゃんにとっては、昭和30年代より昭和40年代(1965〜1974年)の方がインパクトが強かった。世界同時に何かが起こるゆーよーな気ィになってた。ゆーか、いだにその頃の自分から完全に脱皮しきれてないよーな気ィがせんこともない。
前置きが長なった(って、これ前置きかい?)が、この映画で、北の国からの純が売れない三文文士役をやっとったが、どーも違和感があった。役になりきれてないゆーのんか?それから薬師丸ひろ子のお母ちゃん役もしかり。小雪の流れ者の飲み屋の女将役も、なんか戦前生まれの日本人(団塊の親世代)ゆー感じがせんかった。こーゆー映画は、小道具や背景でなんぼ昔を再現してても、人間が昔の日本人を再現できてなアカン。戦前生まれの日本人は顔つきからして違う。もたいまさこと三浦友和は、戦前の人のニュアンスがあった。


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